新型コロナ感染症が蔓延している今日ですが、実は100年前の1918年~1920年にスペイン風邪が世界を席巻しパンデミックを起こしていました。
「100年は災害周期」であると言う学者さんもいらっしゃいます。1923年9月1日に発生した関東大震災から97年、いつ大地震が起きてもおかしくないのかもしれません。
地震、津波、水害、火災、火山噴火等、過去の災害から学ぶことも多く、その被害や教訓から様々な仕組み、体制、法律が生まれました。今回は防災の日に合わせ、過去の災害とその教訓、ペットとの同行避難の変遷をご紹介します。
忘れてはならない大災害
災害はいつ起こるかわかりませんが、過去の災害を学び教訓とすることは無駄ではありません。これからご紹介する2つの災害は日本人であれば名前は聞いたことのあると思いますが、国として基本的な災害対策の軸を作るきっかけとなりました。
その1 97年前の未曾有の大災害 関東大震災
前日に九州に上陸した台風が勢力を弱めながら日本海に通過、東京では未明に強い雨がふっていたが明け方から午前10時ころには雨もすっかり上がっていた。台風の影響もあったのか帽子を飛ばすような突風も吹いていた。そして土曜日、学校も2学期の始業式、会社も午前で終わりお昼を取る為に各家庭ではお昼ご飯の準備をしていた。
1923年9月1日午前11時58分発災
初めは緩慢な揺れが続いていたが、そのうち段々と大きくなり遂には立っていられないほどの激しい揺れに襲われた。首都圏とその周辺を直撃した巨大地震は10万棟を超える家屋を一瞬のうちに倒潰させた。
また、山間部ではがけ崩れや山津波などの土砂災害、沿岸部では津波被害が発生。台所の裸火が火元となって多くの火災が発生し、東京や横浜では台風の余波による強風に煽られて数時間後には大規模な延焼火災に拡大した。これらの火災、建物倒潰、土砂災害、津波による犠牲者は10万人を超えた。(火災による死者が87%)
東京での大火災による被害があまりに大きかったために、東京の地震だと思っている人が多いことと思うが、震源域は相模湾を中心に広がり、神奈川県から千葉県南部を中心に震度7や6強の地域が広がっている。
それらの広がりは、1995年の阪神淡路大震災の実に10倍以上に達する。 関東大震災の死者・行方不明者は約10万5千人で、 我が国の自然災害史上最悪である。この地震の津波は、あまり知られていないが、それによる死者は1993年の北海道南西沖地震を上回るほどのものであった。
震源が相模湾にあったために、早いところでは地震後5分程度で津波が襲来しており、相模湾や伊豆半島東岸で大きな被害を出した。
<この災害からの教訓>
〇耐震基準の規程、行政と民間の連携強化、火災に強い街造り(復旧復興計画)
〇一時避難所の必要性、被害を大きくした反省の多い避難方法、崖地や傾斜地での擁壁基準
〇情報の大切さ(情報の断絶は、流言やデマを生む)
その2 多くの被害をもたらせた最悪の水災害 伊勢湾台風
昭和 34 年 9 月 26 日午後 6 時過ぎに潮岬 に上陸し、全国的に大きな被害をもたらし た台風15号は、特に伊勢湾周辺地域、中でも湾奥部の名古屋市を中心とする臨海低平 地に未曾有の大災害を引き起こしたため、伊勢湾台風と命名された。
この台風は、上陸時の中心気圧が我が国観測史上 4 番目の 929.6hPa であり、昭和 5 年の室戸台風(上陸時最低気圧 911.8hPa)及び昭和20年の枕崎台風(同 916.6hPa)とともに、昭和三大台風(犠牲者数が 3,000 名以上の台風)の一つに数えられている。 伊勢湾台風による犠牲者数は 5,098 名にも及び、それまで最多の犠牲者数であった 室戸台風の3,036 名を大きく上回り、日本の自然災害全体でみても史上 5 番目を記録した。
また、記録的な犠牲者数に加え、犠牲者の発生範囲は全国 36 都道府県に及び、その 83%が愛知・三重両県に集中した点も特徴 的である。一方、物的被害については、全壊 35,125 戸、半壊 105,347 戸、流失 4,486 戸 であった。人的被害同様、物的被害の 73%が 愛知・三重両県で生じている。
本来安全を確 保するための堤防が破壊されたことにより、 低平地にあった建物が高潮の氾濫を受け、大きな被害をもたらした。
<この災害からの教訓>
〇防災の概念と国の責務を明確にした『災害対策基本法』が制定
〇総合的・計画的な防災体制の推進
〇高潮の危険度と防災対策見直し
災害とペット避難行動の変遷
ペットの救護活動は災害を通して獣医師会やペット関連団体等が尽力をし続け、苦労を重ね今日の環境省のペット同行避難ガイドラインを策定するまでに至りました。
本格的に活動が始まったのは阪神淡路大震災ですが、それ以前の1986年大島三原山噴火や1991年雲仙普賢岳噴火の際にもペット救護の為に活動されていた多くの方がいらっしゃることを忘れないようにしたいものです。
ペットと避難所の在り方が浮き彫りになった【阪神淡路大震災】
1995年(平成7年)1月17日5時46分52秒、兵庫県の淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の地震が発生した。近畿圏の広域(兵庫県を中心に、大阪府、京都府も)が大きな被害を受けた。
特に震源に近い神戸市市街地(東灘区、灘区、中央区(三宮・元町・ポートアイランドなど)、兵庫区、長田区、須磨区)の被害は甚大で、当時東洋最大の港であった近代都市での災害として、日本国内のみならず世界中に衝撃を与えた。犠牲者は6,434人に達し、第二次世界大戦後に発生した地震災害としては、東日本大震災に次ぐ被害規模である。
戦後に発生した自然災害全体でも、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。
当時のペットの状況
住民と同様に動物も被災した。避難所ではその扱いでトラブルになるケースもあった。
アンケート調査によると、避難所の動物は以下のような状況にあった。
・避難所の約8割で動物を飼うことができた
・避難所で犬の約4割は飼い主と同居し、猫の約6割は壊れた自宅にいた
・避難所でペットを飼っている人の多くは「迷わず、初めから連れてきた」
約5%の避難所では、ペットを飼っている人と動物嫌いの人とのトラプルが深刻化し、避難所の対策本部のリーダーが解決に苦慮していた。中には動物アレルギーの人とペットを飼っている人たちとの間 にトラブルが発生し、責任者の判断でペットを飼っている人たちを全員、避難生活45日目に避難所から退去 させることになったところが1例あった。
犬や猫など身近な動物たちにも震災による被害はおよび、倒壊家屋の下敷きや火災で死んだものがあった。生き残ったものも被災した飼い主とともに避難所に集った。しかし、動物を飼うのに十分な広さがなかったため、ペットをめぐるトラブルが生じた。
1月20日から避難所での犬や猫の飼い方に関するリーフレットを配ったところ、「動物は不潔だ」 「毛により 喘息発作がおこる」など動物を避難所に入れることへの反発があった。 しかし、避難所に連れてこられた犬猫なども被災家族の一員として保護することを基本におき、避難所で生活する市民の多様な意見と調整しつつ、飼い方に関する啓発や指導を進めた。
避難時のペット同行の必要性が問われ始める【有珠山噴火】
2000年3月27日からの火山性地震の分析や断層の探索により近日中の噴火が予知され、3月29日には気象庁から緊急火山情報が出された。これを受けて壮瞥町・虻田町(当時)・伊達市の周辺3市町では危険地域に住む1万人余りの避難を噴火までに実施していた。
住民は噴火防災の意識が高く、周辺市町のハザードマップの作成や防災教育がなされており、危険地域を避けた適切な避難誘導を行っていたこともあり、被害は建物や道路、上下水道、産業や経済等に200億円を超える損害を与えたが、噴火による犠牲者は1人もいなかった。噴火直前北海道大学有珠火山観測所が144時間以内に噴火すると予告し143時間目に噴火した。
当時のペットの状況
ペット対策が大きな問題となった。
◆4月1日付の北海道新聞によれば、避難区域でペットが置き去りになっている。と、一部のマスコミが報道したところ、日本動物福祉協会の本部や道支部に動物保護を求める要請が殺到したという。洞爺湖畔の月浦にも、動物愛護団体のメンバーが集まってペット救出のシュプレッヒコールの声をあげたこともあった。
◆3月29日から30日にかけての住民避難のようすがテレビで放映されると「避難所に犬や猫の姿がない。置き去りにされたのではないか」という多数の問い合わせが、30日夕刻から道庁によせられた。
「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」策定へ【東日本大震災】
2011年(平成23年)3月11日(金曜日)14時46分18秒宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートルを震源とする東北地方太平洋沖地震が発生した。地震の規模はマグニチュード9.0で、発生時点において日本周辺における観測史上最大の地震である。東日本各地での大きな揺れや、大津波、火災等により、12都道県で約1万8000人の死者・行方不明者が発生し、これは明治以降の日本の地震被害としては関東大震災、明治三陸地震に次ぐ規模となった。
沿岸部の街を津波が破壊し尽くす様子や、福島第一原子力発電所におけるメルトダウン発生は、地球規模で大きな衝撃を与えた。
当時のペットの状況
命は助かったものの負傷したり、避難する際に飼い主と離ればなれとなり、 放浪状態となったペットが多数あった。また、福島県においては福島 原子力発電所の事故により警戒区域が設定され、住民はペットを自宅に留置したり、屋外に 放ったり、係留したまま避難せざるをえない状況となったことが今回の震災の大きな特徴。
これらのペットについては、行政等による保護活動が実施されたが、正確な記録を 残すことが難しい状況であったことや、地域によっては保護された動物が震災によって被災したものなのか、そうでないのかを区別できなかったため、被災頭数を把握することは困難な状況だった。
一方、ペットは直接的な被害を免れたものの、飼い主が被災したために飼養を続けることが困難となり、行政等にペットの一時的な預かりを依頼する、引き取りを依頼(所有権放棄)するケースも少なくなかった。
このように、震災によって死亡したり負傷したりするなど直接的な被害を受けたペットの他にも、飼い主の状況等によってペットはさまざまな形で震災の影響を受けていた。後に実施された自治体へのアンケート調査では、避難所でのペットのトラブルが報告されている。
イヌの鳴き声や臭いなどの苦情が最も多かったほか、「避難所でイヌが放し飼いにされ、寝ている避難者の周りを動き回っていた」「ペットによる子どもへの危害が心配」などという声もあがっていた。
さらに、アレルギー体質の人がいることから、避難所内では人と同じスペースで飼育することが難しい、という報告もあがっていた。
「人とペットの災害対策ガイドライン」へ改定【平成28年熊本地震】
2016年(平成28年)4月14日(木)21時26分以降に熊本県と大分県で相次いで発生した地震。気象庁震度階級では最も大きい震度7を観測する地震が4月14日夜(前記時刻)および4月16日未明に発生したほか、最大震度が6強の地震が2回、6弱の地震が3回発生している。
日本国内の震度7の観測事例としては、4例目(九州地方では初)および5例目に当たり、一連の地震活動において、現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測された。
また、熊本県益城町で観測された揺れの大きさは計測震度6.7で、東北地方太平洋沖地震の時に宮城県栗原市で観測された揺れ(計測震度6.6)を上回り、国内観測史上最大となった。
当時のペットの状況
この地震では、被災者とそのペットの「同行避難」をめぐって様々な問題が生じるとともに、多様な支援がなされることとなった。
被災地域は広範囲にわたっており、行政や獣医師会、動物病院、動物専門職、NPO、動物愛護団体等による様々な支援が行われていたが、多くので避難所では、ペットを安全に飼育できる場所さえ確保できない等、より困難な状況があったと思われる。ペット同居可の「テント村」に居を移した人もあった。
これ以外に、同避難所周辺では、車中泊や軒先避難など、様々なケースが見られた。
終わりに
ペット同行避難のきっかけとなった過去の災害をご紹介しましたが、ここから私たちも学ばなければなりません。このように公助として行政が仕組みを作っても避難した際の飼養者と非飼養者との溝は埋まらないのが現実です。
1995年に発生した阪神淡路大震災から25年、現在多発している水災害の際に避難所でのペット飼養者のおかれる立場はあまり変化が無いように思われます。それはなぜか・・・ペットが「家族」である飼養者は「同行避難」という言葉自体を知らなくとも、災害発生時に、飼養者(被災者)が、ペットを連れて避難することは、当然な対応です。
でも、問題は、「ペットは家族である」という関係は、人間の家族と異なり、日常においても、非飼育者を含め、社会に共有されているとは限らない、ということです。
平常時に家庭内で飼育されている際は、特に大きな問題にならないことがほとんどですが、災害が発生し、自宅から避難所等での共同生活を強いられる状況になった時、残念ながら避難所でのペット受け入れ拒否や非飼養者とのトラブル等が起こります。
また、避難所内では、平常時以上に健康管理・衛生環境の保持が求められます。ペット同行避難をめぐっては、施設運営者とペット飼養者、非飼育者の間で話し合い、ルールを作り共存する共助が必要になります。
飼養者は平時から自助としてペットへのしつけやご近所とのコミュニケ―ションを取り、相互理解できるよう環境を整えることが大切です。そして全国で同行避難が当たり前になり、同居避難が可能な避難所が多くできる事を願います。
一般社団法人 全日本動物専門教育協会
ペット災害危機管理士講師統括責任者
鈴木清隆
参考文献
内閣府 災害教訓の継承に関する専門調査会 資料
『大地震の被災動物を救うために/兵庫県南部地震動物救援本部活 動の記録』
兵庫県南部地震動物救援本部(1996/12), ,p.23-26p.51-66
『阪神・淡路大震災 -長田保健所救援活動の記録-』神戸市長田保健所(1995/9),p.67
『2000年有珠山噴火・その記録と教訓』北海道虻田町(2002/12),p.435] 加藤 謙介:平成28年熊本地震における「ペット同行避難」
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